今日はなんの日〜ふっふ〜(長々)
おはようございます😃☀
あったかい〜
そんな今日はなんの日か!!!
ずばり!
週刊少年誌の日!🤣🤣🤣🤣(らしい笑笑)
1959年(昭和34年)のこの日、
日本初の少年向け週刊誌「週刊少年マガジン」「週刊誌少年サンデー」が発刊されたそうなのです!!👏👏👏👏👏
当時のキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」。
最初はヒット作品に恵まれず、
週刊少年サンデーに水をあけられる状態が続いていたが、
1965年(昭和40年)!
のちばてつやの作品を皮切りに巨人の星、明日のジョーなどの2大スポコン漫画で一気に少年誌としての地位を不動のものにした。
その他にも、
ゲゲゲの鬼太郎、天才バカボンなどの連載を始め、
1967年(昭和42年)1月には100万部を突破した。
週刊少年マガジンは
創刊当初の定価は40円だったみたい!
ちなみに
週刊少年サンデーはマガジンよりちょいと安い
30円。
サンデーという誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」
という、
初代編集長、豊田亀市が名付けた
(かめいち?なんて読むんだろ、、、😓)
名付けの意味めっちゃカッコいい!
少年に寄り添った名前だったんだねー🤭🤭🤭
創刊号のラインナップは
手塚治虫「スリル博士」
横山隆一「宇宙少年トンダリー」
寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」
藤子不二雄「海の王子」
益子かつみ「南蛮小天狗」
(どれも知らないやつでした😲😲😲😲)
創刊号の売り上げはサンデーが30万部、
マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、
マガジンも5号から30円に値下げした
(あらま!🤭🤭🤭🤭)
これ以降もお互い張り合ってページ数を増やしていった。
(張り合ってくれるってのはこっちからしたらいい事だよね🤔🤔🤔
スーパー争いと同じ🤔🤔🤔)
1960年半ばには手塚治虫「W3」がマガジンからサンデーに移籍する「W3事件」が起こり、
1960年代末には、「天才バカボン」がマガジンからサンデーに移籍するなどその後もライバル間の争いは続いた、、、、、
以上、
Wikipedia🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣笑笑笑
昭和34年とか、、、
おじいちゃん世代だきっと!
もう亡くなってるからおじいちゃんには聞けないけど、
きっとマガジンやサンデーを見てたんだろうなー(多分)
いや、、、、少年じゃないかな?🤔🤔🤔😓😓😓
それではまた!!👏👏👏👏😲
3月17日 9:45